札幌高等裁判所 昭和41年(行コ)1号 判決 1967年6月29日
控訴人(原告) 武田悦子
被控訴人(被告) 札幌市
主文
本件控訴を棄却する。
控訴審での訴訟費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決を取り消す。控訴人が被控訴人交通局の職員たる地位にあることを確認する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文と同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述は、左記のほかは原判決の事実摘示(ただし原判決二枚目表二行から同裏四行までおよび七枚目表一〇行から八枚目表六行までを除く)と同一であるから、これを引用する。
控訴代理人は次のとおり述べた。
地方公営企業職員の労働関係は、その従事する公務の性質、内容やその実定法の規制のしかた等を配慮して合目的的に判断すれば、私法的規律に服する契約関係とみるべきものであるから、本件懲戒免職処分は、地方公務員法第二九条に基づくものではあるけれども、その法的性格は行政処分ではなく私法上の懲戒解雇にほかならない。すなわち、地方公営企業は、地方公共団体を経営の主体とし、企業の経済性の発揮とともに公共の福祉をもつて運営の本旨とすべき旨定められているけれども、その営む事業内容や社会的作用の実質においては私企業のそれと本質的に変わるところはなく、地方公共団体における公権力の行使を伴う一般行政作用とはその性質を著しく異にする。そこで、地方公営企業法は、地方公営企業職員の身分取扱については原則として地方公営企業労働関係法(以下「地公労法」という)の定めるところによるものとし(第三六条)、地公労法は、職員の労働関係については原則的に労働組合法、労働関係調整法を適用するものとし(第四条)、その労働条件に関して団体交渉および労働協約の締結を認め(第七条二項)、労使の共同構成機関による苦情処理(第一三条、第七条第二項第五号)、労働委員会による調停、仲裁(第一四条ないし第一六条)の制度を設け、地方公務員法の任用、分限および懲戒、服務等に関する規定は地方公営企業の職員に対しても適用があるが、これら事項でも労働条件と目すべきものについてはなお団体交渉、労働協約、苦情処理、調停、仲裁等の対象となり得るところである(第七条第二項)。このように、地方公営企業職員の労働関係は、一般地方公務員のそれと異なり当事者対等の基本原理によつて律せられており、むしろ公共企業体ないし私企業における労働関係に類するものというべきであるから、本件懲戒免職処分についても私法上の権利濫用の法理がそのまま適用されるものであつて、本件懲戒免職処分は懲戒権の正当な行使の限度を超えた懲戒権の濫用として無効である。
被控訴代理人は次のとおり述べた。
一、地方公営企業は公共の福祉の増進を本来の目的とし、その一つである本件自動車運送事業の経営は、地方公共団体である被控訴人の行政事務に属するものである。したがつて、地方公営企業職員は右行政目的のため勤務に服しているのであるから、その身分はあくまでも地方公務員であつて地方公務員法第三章第二節の任用、第五節の分限および懲戒、第六節の服務の各規定の適用を受けるものであり、控訴人主張の地公労法等の規定は企業職員の労働関係を保護するための特例であつて、これにより右職員の地方公務員としての身分を否定したものではない。しかして、控訴人の本件運行路線放棄は、地方公務員として職務に専念すべきことを命じた地方公務員法第三五条、上司の命令、被控訴人の運送規程(自動車運行ダイヤ)に忠実に従うことを命じた同法第三二条、信用の失墜行為を禁じた同法第三三条にそれぞれ違反する行為であつて、被控訴人はこれらを理由に控訴人を同法第二九条により懲戒免職処分に付したのであるから、右処分は行政処分であることは明らかである。しかも、控訴人がほしいままに運行路線を放棄したことは、自動車運送事業に従事する地方公務員として重大な服務規律違反であり、正確な運送と乗客の安全を確保するためには厳格な職場規律の保持が不可欠の前提であるから、被控訴人が控訴人を懲戒免職処分に付したことは当然であつて懲戒権の濫用ではない。
二、なお、控訴人は既に成年に達したので、原審における本案前の抗弁は撤回する。
(証拠省略)
理由
一、控訴人がおそくとも昭和三六年八月一日から被控訴人札幌市の交通局職員として同局自動車輸送課においてバス車掌の勤務についていたこと、控訴人が昭和三九年六月二日、被控訴人経営の市営バス西二〇丁目線、すなわち大通りバスセンターを基点とし、北一条通りを西進し、市役所前、市立病院前、北一条西一一丁目、北一条西一四丁目、北一条西二〇丁目の各停留所を経由し、そこから西二〇丁目道路を南進し、南三条西二〇丁目、南六条西二〇丁目、南九条西二〇丁目、南一一条西二〇丁目の各停留所を順次経由して旭ケ丘下を終点とする運行路線に車掌として乗車勤務し、同路線の旭ケ丘下停留所一九時〇八分発大通りバスセンター行きのバスに乗車勤務したこと、右バスは、旭ケ丘下を定時に発車したが、同停留所では一名の乗客もなく、途中南六条西二〇丁目の停留所で乗車した乗客が一名あつたが、その乗客も南三条西二〇丁目の停留所で降車したため、その後は乗客のないまま西二〇丁目通りを北進し、北一条通りの交叉点に至つたこと、控訴人と運転手は、乗客のいないところから同所で大通りバスセンターまでの運行を中止して琴似営業所へ帰ることとし、控訴人がバスの方向幕を「大通りバスセンター」から「回送」に変え、運転手がそのままバスを琴似営業所に向けて運転して同営業所の車庫に入庫させ、その結果控訴人と運転手が北一条西二〇丁目の停留所から大通りバスセンターまでの区間バスを運行しなかつたこと、被控訴人は昭和三九年六月一八日、控訴人の右路線運行区間の一部を欠行した行為が地方公務員法第二九条第一項に該当するとして、控訴人を同条により懲戒免職処分に付したこと、はいずれも当事者間に争いがない。
二、控訴人は、被控訴人の右懲戒免職処分はその懲戒事由に比べて甚しく過酷であり、法令の適用を誤つたか、もしくは懲戒権の濫用として無効である、と主張するので判断する。
まず、控訴人は、地方公営企業職員の労働関係は私法的規律に服する契約関係であるから、右懲戒免職処分の法的性格は行政処分ではなく私企業における懲戒解雇に外ならず、一般私法上の権利濫用法理を適用すべきである、と主張するので検討する。
地方公営企業に勤務する一般職に属する地方公務員は地公労法の適用を受け、団結権(第五条)、団体交渉権および労働協約締結権(第七条)が認められているほか、その労働関係については労働組合法の規定が補充的に適用され(第四条)、その限りにおいては他の一般地方公務員と取扱を異にし、一般私企業における労働関係と共通性を有することは否定できない。しかしながら、他方、地方公務員たる企業職員と企業経営者たる地方公共団体の勤務関係については、地方公務員法の任用(第一五条ないし第二二条)、分限および懲戒(第二七条ないし第二九条)、服務(第三〇条ないし第三五条、第三八条)等に関する規定が適用されるのであつて、このような公務員関係としての側面を全く無視して地方公営企業職員がすべての面において私企業の従業員の労働関係と同一の法的規律に服するものと解することはできず、とりわけ、本件のように、集団的労働関係における組合活動に随伴する規律違反行為ではなく、団結権、団体交渉権の行使とは全然無関係な公務員の職務上の義務の中心をなす与えられた職務遂行義務の懈怠を理由として懲戒免職処分が発動された場合には、当該懲戒免職処分は、いわゆる特別権力関係に基く行政監督権の作用であつて行政処分たる性質を失うものではないと解するのが相当である。したがつて、右懲戒免職処分の法的性格が私企業における懲戒解雇と同視できることを前提として、これに一般私法上権利濫用法理を適用すべきであるとする控訴人の主張は、その前提において失当であつて採用できない。
そこで進んで右懲戒免職処分の効力について判断する。
成立に争いのない乙第一号証の一、二、原審証人伊東義昭の証言により成立が認められる乙第二号証の一、二、原審証人明石義未、同伊東義昭、同津坂俊一の各証言、原審ならびに当審における控訴人本人尋問の結果(ただし後記信用しない部分を除く)を総合すると次の事実が認められる。
(一) 被控訴人の経営する自動車運送事業はあらかじめ編成された運行ダイヤに則して自動車を運行しなければならないものであつて、経営者自身といえども右ダイヤを勝手に変更できないこと、
(二) 西二〇丁目線バスの旭ケ丘下発大通りバスセンター行の最も混雑する時間は、運行路線近くにある高等学校の生徒が下校する午後三時半から四時半頃までの間で、それ以降はこの路線を利用する乗客は比較的少なく、控訴人の乗務した旭ケ丘下発一九時〇八分の大通りバスセンター行のバスは、同路線の最終便であつたこと、
(三) 西二〇丁目線のうち北一条西二〇丁目から大通りバスセンターまでの運行区間は、同路線のほか被控訴人経営の琴似線、西野線、発寒線、山の手線、工業団地線、動物園線の計七系統の路線が運行され、いわゆる幹線運行路線であつたが、控訴人の乗務したバスが乗客のないまま北一条西二〇丁目の交叉点に至つたところ、丁度大通りバスセンター行きの他の路線のバスが北一条西二〇丁目の停留所を発進し、停留所に乗客がいなかつたので、控訴人はこのさき運行しても乗客がないだろうと速断し、同乗の長谷匠三郎運転手に「このまま営業所に入庫しては。」と話したところ、同運転手もこれに同意し、上記のとおり北一条西二〇丁目停留所から大通りバスセンターまでの運行区間を欠行して直ちに琴似営業所に帰つたこと、
(四) 控訴人および長谷運転手は、この運行路線の欠行については琴似営業所に帰着後上司に報告しなかつたが、運行ダイヤより約二七分早く営業所に帰つたことから係員に調査され、右一部路線区間欠行の事実が発覚するに至り、右事実が本件懲戒事由とされたこと、
以上の事実が認められ、原審ならびに当審における控訴人本人の供述中右認定に反する部分は前掲の各証拠に照らして採用し難いものであり、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
懲戒免職処分がその内容に関する瑕疵によつて無効であるというためには、その処分がまつたく事実上の根拠に基かないか、もしくは社会観念上著しく妥当を欠き懲戒権者に任せられた裁量権の範囲を著しく超えていると認められるなど、その処分の内容に重大かつ明白な瑕の存する場合であることを要すると解するのが相当である。
右認定の事実によると、控訴人に対する本件懲戒免職処分がまつたく事実上の根拠に基かないものといえないことはもとより、控訴人は定期運行バスの車掌として運転手と協力して定められた運行路線を確実に運行すべき義務があるにもかかわらず、何ら特段の事情もないのに控訴人が提唱して運転手とともに運行路線の約半分に相当する区間の運行を勝手に中止したものであつて、上記の路線欠行当時における乗降客の具体的状況を考慮しても、地方公共団体の住民の福祉増進を本来の目的とする地方公営企業(自動車運送事業)の経営者たる被控訴人としては、職員の服務規律を維持、確保するため、控訴人に対し厳格な態度をもつて臨んだことはけだし止むを得ないところというべく、被控訴人が控訴人に対してなした本件懲戒免職処分が社会観念上著しく妥当を欠き、懲戒権者に任せられた裁量権の範囲を著しく逸脱したものと断ずるには至らないものといわざるを得ないから、控訴人の本主張はすべて採用できない。
三、そうすると、本件懲戒免職処分の無効を前提として控訴人が被控訴人交通局の職員たる地位にあることの確認を求める控訴人の本訴請求は失当であつて棄却すべきものである。
よつて右と同趣旨の原判決は相当で本件控訴は理由がないから民事訴訟法第三八四条第一項によりこれを棄却し、訴訟費用の負担につき同法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 杉山孝 田中恒朗 島田礼介)